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母の故郷

【母の故郷】

こんなニュースがありました。

農林水産省は、各地の特産品をブランドとして保護する
「地理的表示保護制度」の対象として、新たに
大分県の「くにさき七島藺表(しちとうい・おもて)」
青森県の「十三湖産大和しじみ」、
岡山県の「連島(つらじま)ごぼう」の3品目を登録した。

国東が母の故郷で小学生の頃は博多の従兄弟と毎年夏休み中帰省して
毎日、黒津岬・平滑(ひらとこ)で泳いでいました。
両親が時間が無いときは叔父叔母の誰かが連れていってくれ、
当時、国鉄のフェニックスという急行が八幡駅に停車するので
これで杵築まで行き、国東軽便鉄道で終点までというコースです。
いつも行橋でアイスクリームを買ってもらって食べた記憶があります。
知らない人は国東を「くにさき」と読むのも難しいと思います。
母の実家は半農半漁で養鶏もしていました。祖父は斬新な人で以前は
パン屋もしていたと聞いています。実家のすぐ前の畑はスイカ畑で
帰省したらまずスイカを食べたものです。
国東農業高校(現国東高校)のグランドと地続きで、夏の夜に
このグランドから見た天の川は一生の思い出というぐらい見事でした。
平滑は遠浅の海岸で、砂浜にこの七島藺表が広々と干してありました。
イ草を国東ではこう呼びます。砂が熱くてこの上を歩いてしかられた
ものです。記事では「しちとうい」になっていますが地元では
「しっとうい」と言っていたと思います。
タクワンのみじん切りをまぶしたおにぎりだけで1日中泳いだものです。
平滑の川は潮の干満によって深さが激しく変わり、溺れそうになった
こともあります。
その平滑の浜も砂の採取で流れが変わり、くたびれるほど歩かないと
泳げる深さに行けなかった遠浅の浜はなくなってしまい、あわてて
テトラポットを置いたものの昔のようには戻りませんでした。
黒津岬の海で叔父が潜ってサザエ等を捕ってくるまで、従兄弟と
この浜の所々にある大きな岩についた「蜷(にな)」を撮って
空き缶に海水を入れて煮て食べていました。
母の故郷の名産品が地理的表示保護制度のブランドとして
登録されたことは小生にとっては小さな喜びです。

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