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「那須与一」を読んだ

【「那須与一」を読んだ】

那須与一(なすのよいち)が船上の扇を射った話は吉川英治氏著の
「新平家物語」などを読んだりして多少は知っていたが、
(屋島の合戦で平家の船が扇の的を船上にかかげ、それを那須与一が
 見事に射落とした。距離は75メートルとされている。
 当時は那須与一=日本一の弓の名人となっていた)
それ以外はあまり知らなかった。最近、谷恒生氏著「那須与一」を読んで
小説とは言え、少々は知ることができた。
(当然、小説なので事実と違う部分も多大にあるだろうが)
那須与一は源平時代の義経に仕えた源氏の武者である。その弟である
「那須大八郎」が小生と幾分か関わりがある。源平の合戦は壇ノ浦で
平家が負けて決着を迎えるが、平家の残党は日本各地に落ち武者となって
散らばって生き延びた。

四国の祖谷地方、熊本県、宮崎県の奥地、鹿児島県の薩摩、大隅半島など
日本各地にそれは伝承として残っている。(事実かどうかはわからない)
いろいろな伝説が各地に残っている。源氏の追討を受けた平家の落ち武者は
警戒するために鳴き声で居場所を知られるのを恐れ、鶏を飼わなかったとか、
そういう話はたくさんある。小生の親父の故郷ではこんな話がある。
もう明治になって、ある行商人が村に迷い込んだ。それほど奥山深く
一般人とは隔離された地域だったのだろう。その行商人に村人が最初に
聞いたのは「最後は源氏が勝ったか、平家が勝ったか」ということだった。
室町、戦国、安土桃山、江戸時代を経ているので眉唾ものだが、話としては
面白い。鶏を飼わなかったという話も残っている。
だが宮崎県の奥地にはこの那須大八郎が追討に来ている。
そこが小生の親父の故郷である。まあいろいろな物も現存する。
姫が化粧に使った水を汲んだ井戸とか、大八郎手植えの杉とか、
姫が暮らした館とか。これも事実かどうかはわからない。
(ただし館自体は歴史的建造物として国の重要文化財に指定されている。
 この横にある民宿に宿泊し、予約すれば、以前はこの建物で夕食ができたが、
 現在は知らない。)
地元の民謡にも那須大八郎が登場する。
ひえつき節である。  ひえつき節

これを出すと小生に名字がほとんど判明するが、まあいいか。
特に悪いことをしたことも(もっとも、そこそこ法律は破っている。
例えば未成年時代の飲酒・喫煙とか、捕まっていないスピード違反とか)、
特に人に恨まれるようなこともした覚えはないので(知らないだけかも)。
どうせ温泉の仲間達は、みんな知っているし、
今までこのHPを見てわかっている方も多いだろうから。
しかし一応今後も名字は伏せておくことにする。

以前、北海道を一人旅しているときに、積丹半島の地元の方から「義経伝説」を
聞いたことがある。もちろん「義経」とは「九郎判官源義経」である。
「義経」は鎌倉の兄「頼朝」に追われ、奥州平泉の藤原氏を頼って行った。
歌舞伎で有名な弁慶の勧進帳は、この道中の物語である。
平泉の藤原秀衡は京都鞍馬寺から脱出した幼い義経を匿ってくれ、ここで
義経は成長し、旗揚げした頼朝の元へ向かうのである。
藤原氏当主の藤原秀衡は黄金と奥州駒によって巨額の財貨を稼ぎ出し、
平泉を都として奥州を栄えさせ、中尊寺金色堂などを作った人である。
松尾芭蕉の「奥の細道」にも三代の栄耀として出てくる。
しかし頼りにしていた藤原秀衡の死去とともに、後継者となった藤原泰衡に
急襲され、その居館である高館(たかだち)で自刃したということになって
いる。文治5年(1189)4月30日のことである。
(泰衡も「奥の細道」に「泰衡ららが旧跡は」という文で出てくる。
 同じく高館も「高館の元にて大河に落ちいる」という文がある。
 藤原氏はこの後、鎌倉軍に攻められ藤原氏が栄華を誇った平泉は
 焼かれ灰燼と化し、滅んでしまう)
しかし平泉から酒漬けにされて鎌倉に運ばれた義経の首を見た頼朝は
「九郎が首にあらず」と叫んで奥に引きこもってしまったという。
義経の首ではないという頼朝の言葉からいろいろな風説ができ、義経生存説が
生まれ、その一つが、義経は蝦夷(北海道)に渡り、積丹半島から大陸に渡り
モンゴルに至ってチンギスハンになったというものである。
まあ荒唐無稽な話ではあるが(モンゴルの人が怒るかも知れない)、
話としては面白い。

読み終わって割とすっきりとした印象が残る小説である。
最後は美人で有名な前関白(さきのかんぱく)の姫君である「藤原顕子
(ふじわらのあきこ)」と一緒になり武士も故郷も捨て仏師になり、諸国を
巡って平安に暮らしたことになっている。
新平家物語では那須与一の最後は出てこないが、大八郎は姫と娘の待つ村へ
再び戻ったことになって小説が終わっている。
まあ、めでたし、めでたしというところか。

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