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泣いて馬謖を斬る

【泣いて馬謖を斬る】

久しぶりに読んだ三国志演義からです。
まず話の展開は諸葛孔明が魏に攻め入ったのですが、その時に
街亭を守る者はおらぬかと言った時に馬謖が名乗り出ました。
そこで諸葛孔明は慎重な王平をつけて守らせました。
街亭につくや馬謖は王平の意見も聞かず山頂に陣を取り、
結局は魏の軍勢に囲まれて敗れ街亭を失ってしまいます。
帰ってきた馬謖を諸葛孔明は法度をおろそかにする事はできないと
馬謖の首を刎ねさせました。そして刑手が首を捧げてくると
諸葛孔明はいつまでも声をあげて泣き止まなかったということです。
そこで日本では有能な人物を泣く泣く処分することを
「泣いて馬謖を斬る」というようになりました。
ところが実際は諸葛孔明が泣いたのは劉備が死ぬ間際に
「馬謖は言葉ばかりで実のない者ゆえ大任をまかせてはならぬ」と
遺言し、その言葉どおりになったので自分の不明が恥ずかしく、
劉備の言葉を改めて思い出して泣いたのです。
時に馬謖は39歳、建興6年(228年)夏5月のことです。

以上のように「泣いて馬謖を斬る」というのは日本では全然違う
例えになってしまっているというおかしな話です。
また馬謖は5人兄弟の末っ子でこの5人兄弟の中では長男の馬良が
最も優れていたそうです。馬良は眉毛に白い毛があったため
「馬の5兄弟、白眉が最も良い」と。

日本のことわざにもあります。「情けは人のためならず」です。
情けをかけてやると甘やかす事になるから駄目だと思っている人が
多いと思います。実際は情けを相手にかけることによって、回り回って
いつかは自分に返ってくるから情けをかけてやりなさいということです。
つまり人のためではなく自分のためと思ってしなさいということです。

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