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ちょっと真面目な中国の話

【ちょっと真面目な中国の話】



最近も暇で持っている本を読み返しているが、中国物を読むと現在の
中国が不思議でならない。これほど仁義に欠けた国があるだろうか。

日本では変にとられているが「仁義」という言葉。
古代中国(今から2300年~2400年前)では「仁義」というのは
最高の言葉であり、生き方であった。
「仁」とは他人に対する思いやり、愛を表し、義というのは内なる
愛(自分や家族、親戚などの人や物)のことである。
この時代に白圭という人物がいたが、中国史上、最高最大の商人であった。
その言葉に「人の捨てる物を買い、人の欲する物を売り、利は人のために
使う」とか「仁を買って義を売る」というのがある。
また「臨機応変に働く知恵がなく、事を決断する勇気がなく、物を取予する
仁徳がなく、 守るべきことを守る力のない者には、いかにわたしの術を
学ぼうと望んでも、わたしは教えないのである」とも言っっている。
後世、天下の産を治めることを云々するものは、みな白圭を祖とした。
彼は、巨万の富を治水などの公共投資に使い社会を安定させた。
また墨子は非戦と博愛を唱えて「墨守」という言葉ができた。
荘子や老子は自然を愛した。

まるで他民族のようだ。この2400年前にすでに中国では人口が
50万人以上という都市がいくつかあった。思想も百花繚乱の時代であり、
俗に言う諸子百家のことである
「鶏鳴狗盗」「宋襄の仁」「蛇足」などの熟語の起源となる事が行われて
いた時代でもある。
日本では縄文時代の終わり頃に当たる。
それを考えると日本の発展のすごさと中国の発展の貧しさが判る。

リンク:諸子百家 諸子百家

リンク:縄文時代 縄文時代

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