【鹿の肉】
以下、ニュース記事から
滋賀県内でカレー店「CoCo壱番屋」を12店経営するアドバンス
(長浜市)が、獣害対策の一環として提供を続けてきたシカ肉カレーの
レトルトパックを開発し、各店舗で販売を始めた。
同社は2010年、県内で深刻化するシカの獣害解決の一助になればと、
シカ肉を使ったカレーを開発。日野町などの猟友会から購入し、年間計
約1万8千食を売り上げるメニューに定着させた。
鹿の肉は本当に低脂肪で栄養素がたっぷりで健康食品です。
刺身、焼き肉、煮付けなど調理方法もいろいろとできます。
見た目は可愛らしいけど、木々や農作物にとっては恐るべき害獣です。
木々は冬に餌が無くなった鹿に皮を食べられると枯れてしまいます。
江戸時代の大飢饉の際には松の皮をはいで中の薄皮を食べたそうですが、
人間はこれ以上はぐと木が枯れる限度をわきまえていますが、鹿はそうは
いきません。今年亡くなった伯父は猟銃もライフルも所持していて
(それぞれ免許が違う)鹿や猪を捕っていましたが、鹿は肉の部分が少なく
弾代の方が高くつくので、もっぱら罠で捕ると言っていました。
また猟友会のメンバーも老齢化、減少の傾向にあり、それが鹿の増加に
繋がって被害が増しているとも聞きました。
「COCO壱番屋」に拍手!
このカキコは「その他」か「B級グルメ」か迷いましたが、小生は
大の鹿肉好きなので「B級グルメ」にしました。冷凍にしておけば
1年中食べる事ができます。半解凍して(そうしなければ切れないし、
解凍しすぎると美味しくなくなる)薄くスライスして、刺身で生姜醤油で
食べるのが一番美味しいと思います。
猪だって臭いという方がおられますが、それは完全に間違いです。
猪は体温が高く、死んだ後も30度以上の熱が続きます。それで捕った後、
すぐに適当な処理をしないと臭くなるのです。だから臭いと感じた方の
食べた猪の肉は下手な処理をした肉なのです。
猪は鍋がポピュラーですが小生は薄くスライスした肉の塩焼きが一番好きです。
みなさん、本当に美味しい鹿の刺身と猪の塩焼きを一度食べてみて下さい。
【今、福岡の博多のビジネスです】
けっこう有名で、実はお店自体は50年以上の歴史があり、小生の亡き叔父の
家の近所で、小学生時代(もう50年前)に叔父の家に泊まった時に叔父が
出前でとってくれていました。確認はしませんでしたが、たぶんその店です。
お店はJR南福岡駅から出て左に曲がってすぐの所です。
味は、みなさんも経験があると思いますが幼い時に美味しいと思って
食べていたのと、ちょっと違うような気がしました。
いえ、まずいわけでは無く、美味しいのですが、期待が大きすぎました。
でも一度は食べる価値はあります。
今日は瓶ビール1本で1人前を食しましたが、どちらかというと、
御飯の方が合うような気がします。
【かいせき料理】
最近、ちょっとした寄り合いがありまして、料理をいただきました。
まず何故「かいせき」を平仮名にしたかというと「かいせき」には
「会席」と「懐石」があるからです。
小生と同様にみなさんも「会席料理」はかなり食していると思います。
結婚式や旅館などの夕食はこれが基本になっているからです。
しかし「懐石料理」を食した方は少ないと思います。小生も本格的な
懐石料理をいただいたのは59年の人生で初めての経験でした。
そこで「懐石料理」と「会席料理」の違いとは、
・懐石はお茶を喫する前に出されるお茶を美味しくいただくための料理
(濃茶で気分が悪くなるのを防ぐため最初に御飯物が出てくる)
・会席はお酒をいただくための料理
(お酒を堪能した締めとして最後に御飯物が出てくる)
会席・懐石料理は公家の「大饗」を元にし、武家の「式正料理」となり、
その「式正」から「本膳料理」が育ち、これが会席・懐石になったと
いわれています。
「懐石料理」は禅宗の精進料理の影響が強く、料理はお茶のための前段で、
主役はお茶であるため料理は余分なものを削って簡素なものになりました。
江戸中期に茶の湯を愛する文人・墨客は会席料理と混同されるのを避けて
懐石の文字を使用しました。
「懐石」という言葉は修行中の僧侶が温めた石を温石(おんじゃく)として
懐に入れて寒さや空腹をしのいだことに由来しています。現在は料理店で
出す懐石・会席料理と区別するために「茶懐石」と呼ばれています。
・懐石の基本は「もてなす心」
・会席は懐石の堅苦しい作法をやめてお酒を楽しくいただく宴会料理
(このため会席料理は別名「本膳くずし」「懐石くずし」とよばれる)
会席も「食い切り料理」とそれ以外にわかれます。
「食い切り料理」は1品1品食べ終わると次の料理が出てくるもので、
それ以外はある程度の料理があらかじめ配膳されており、温かいものだけを
順次出していくパターンのものです。
・懐石料理の一例
向付・飯・汁→銚子・引盃→椀盛→焼き物→預鉢→小吸物→八寸→香の物・湯桶
向付は鱠(なます)や刺身など
引盃は5枚組の盃
預鉢は炊き合わせや和え物など
小吸物は「箸洗い」といって薄口の吸物で口直し
八寸はお盆を意味するが、それにお酒の肴を盛りつけたもの
湯桶はおこげをお湯に入れて煮たせ軽く塩をしたもの
・会席料理の一例
前菜・先付→吸物→刺身→焼き物・蒸し物・酢の物・揚げ物・椀盛り・八寸→
飯・香の物・止め碗→果物→菓子
日本には和食と言ってもいろいろとありますね、長崎の普茶料理とか。
時間とお金があれば、観光ではなくて、こういう料理を食するのを
メインとした旅行に行きたいものです。
【駅弁】
1910(明治43)年に創業した駅弁会社「小郡駅弁当」(山口市小郡下郷)が、
今月末で弁当事業から撤退します。「ふく寿司」は美味しかったです。
みなさんは駅弁にどんな感想をお持ちですか。また駅弁の想い出は。
小生の場合は第1は北九州市八幡西区折尾の東筑軒の「かしわめし」です。
小生の勤務していた職場は旅行センターがあって東筑軒と提携していました。
それで本店で研修があると昼食はいつもこの「かしわめし」が出てきました。
今でも八幡駅で購入して食べたり、年末年始用に大皿のものを注文したり
します。(アルバムのB級グルメに写真を掲載しています)
第2は人吉駅の「鮎弁当」「栗弁当」です。どちらも美味しいし容器も
後で使用できるのでなかなか重宝しています。
第3は無数にあって決められません。八代駅の「鮎屋三代」が現在は
一番食べたい駅弁です。「ますの寿司」「峠の釜飯」なども良いですね。
では想い出というと延岡駅で購入した「鮎弁当」です。高校2年のときに
延岡から高千穂まで歩きましたが(もちろん、お金がないためで
ヒッチハイクも若干しました)、その途中で食べたこの駅弁が
忘れられません。川水流駅(かわずるえき)での事でした。その日の
最初で最後の食事でした。
現在では電車のスピードが速くなって、ゆっくり駅弁を味わうより
現地に到着して地の物を食すというのが一般的になってきました。
便利といえば便利ですが、なにか情緒がなくなったような気がします。
駅弁ではないのですが、昔は馬鹿な事ばかりしていました。
・車で高速を通らず神戸まで珈琲を飲みによく行った。
(運転していた車は排気量800CCのガッツ「パブリカ」)
・萩のあるお店の貝汁が美味しかったので毎晩、車で通った。
(帰りにガソリンが無くなりそうになり、下りはエンジンを
止めて惰性で走った。夜の秋吉台を見ろうなんて馬鹿な
考えを起こしたあげくこの始末)
・長崎のちゃんぽんが食べたくて、夜中に車で行った。
(どこの店も開いてなくてリンガーハットで食べた。
食べ終わった後、やっぱり長崎のリンガーハットは
美味しいと言ったやつがいた)
以上、現在では考えられない馬鹿な青春時代の想い出でした。