本日 595 人 - 昨日 776 人 - 累計 1066827 人

我が町の野口雨情

【我が町の野口雨情】

今日は雨情忌ですが、小生が雨情を、そしてその碑があるのを
知ったのは、たぶん小学校の遠足で皿倉山に行ったときのことです。

(野口雨情文学碑)
「くきの海辺の船もよい 船も帆がなきや行かれない 
   お供についたくまわにが  山で帆柱きりました
     その時きつた帆柱は 帆柱山の杉でした」

野口雨情が昭和7年(1932)5月、北九州市出身の童話作家の
阿南哲朗の案内で皿倉山に登ったときに作った「帆柱山の歌」が
刻まれています。
碑は昭和32年11月に建立されました。雨情の生誕日
(明治15年5月29日)を記念して、毎年5月、皿倉山頂周辺で
「野口雨情まつり」が開かれ、式典、舞踊、音楽会などがあり、
雨情をしのんでいます。

余談ですが「皿倉山」は「さらにくれる」、帆柱山は「船の帆柱を
この山の木で作った」という神功皇后の伝説からつけられた名前です。
そういえば長男の嫁も旧姓が野口です。

外部リンク 野口雨情

| 04:54 | 未分類
コメント
name.. :記憶

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):
  • 記事検索
  • 内容検索
RSS