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「訃報」作家の石牟礼道子さん死去 90歳 「苦海浄土」

【「訃報」作家の石牟礼道子さん死去 90歳 「苦海浄土」】



記事の全文を掲載したため長いです。
しかしどこも削ることができません。

人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土(くがいじょうど)」で水俣病を
告発し、豊穣(ほうじょう)な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を
問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の
石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日死去した。90歳。
1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。
生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。
代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に
文学活動を始めた。

59年には、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、
「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心。69年、水俣病患者の姿を
伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞
に選ばれたが、辞退した。同書は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を
代表する名著として知られる。74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の
第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した。

水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病対策市民会議」の発足に尽力する一方で、
水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた故・川本輝夫さんらの自主交渉の
運動を支えるなど、徹底的に患者に寄り添う姿勢とカリスマ性のあるリーダー
シップから「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。患者らの怒りを作品で
代弁して「巫女(みこ)」に例えられるなど、水俣病患者・支援者の精神的支柱
となった。

73年、「苦海浄土」など水俣病関連の作品で「アジアのノーベル賞」と
いわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。
03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。02年に発表した
新作能「不知火」は04年に水俣湾埋め立て地で上演されるなど全国的な
話題になった。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・
別巻1)が刊行された。

水俣弁をベースにした「道子弁」と言うべき独特の言い回しや、竜などを
イメージした神話的スケールの死生観など、同時代の文芸・思想界に大きな
影響を及ぼした。詩人の伊藤比呂美さん、作家の町田康さん、韓国詩人の
高銀さんらに慕われ、対談など文学的交流を深めた。11年には作家の
池澤夏樹さんが個人編集する「世界文学全集」(全30巻)に「苦海浄土」
3部作が日本人作家の作品として唯一収録された。


いつだったか、たぶん大学生のころだったと思う。「苦海浄土」を買って
読んだ。水俣市にも3回行った。もちろん目当ては近くの湯の児温泉では
あったが、水俣市の海岸沿いを歩いてみた。
この下に今でも水銀が溜まっているのだろうかと思った。
水俣病の原因を作ったチッソは皇后陛下の御実家と関係する企業だと聞いた
覚えがある。
若い方々は知らないと思うが、この機会に水俣病という病気があり、現在でも
苦しんでいる方がいるというのを知って欲しい。
水銀が世界中で無くなったら日本に行けというブラックジョークができたほど
海外でも有名である。また日本は富山のイタイイタイ病と排ガスによる
四日市喘息と3大公害病をすべて経験した国である。

いずれにしろ偉大な方がまた1人亡くなられた。

リンク:水俣病 水俣病

リンク:チッソ チッソ 

リンク:イタイイタイ病 イタイイタイ病

リンク:四日市喘息 四日市喘息

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2018年02月20日
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