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韓国の独立当時の事を読んだ

【韓国の独立当時の事を読んだ】

たまたま古書店で韓国の歴史が書いてある本をみつけ購入して読んだ。
以下はその内容と感想である。

その印象は「民主主義とは異質な法治体系」と「歴史への常軌を逸した執着」
である。歴史を遡り、現代の主権国家を否定し、主権を捏造し人権否定を覆い
隠す、これが韓国である。と同時に日韓併合(1910年)の正統性や、
百数十万と報じられてもいる韓国政府が行った自国民大虐殺などが心に
残った。

大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争の敗戦を国民に知らせた。
無政府状態を憂う朝鮮総督府は「朝鮮建国準備委員会」設置を比較的冷静、
公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。
ソ聯軍侵攻による朝鮮人政治・思想犯の釈放・流出、ひいては朝鮮共産化が
想定され、朝鮮人釈放や治安維持への協力を取り付ける意図もあった。
しかし、自治組織に過ぎぬ委員会は45年9月6日「朝鮮人民共和国」を
勝手に樹立し「独立」を宣言してしまう。

朝鮮総督府の阿部信行・陸軍大将(元首相)や朝鮮軍管区司令官の上月良夫・
陸軍中将が総督府や主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を
掲揚させる。
しかし「独立宣言」直後、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再
び掲揚させた。米軍の軍政が本格的に始まるや、日章旗が星条旗へと付け
替えられた。

最大の理由は米国は日章旗掲揚で朝鮮=日本だと公認したのである。
軍政に正当性を持たせ、朝鮮が別国家ならば解放したことになり、解放後は
統治を朝鮮に任せる過程を生む。従って終戦直後、米軍上陸前の統治を
総督府に密命した。治安も朝鮮軍管区や日本の官憲に担わせた。
上陸後も、日本人官吏は相当期間軍政を支援、治安も軌道に乗るまで日本側が
協力した。日本側の統治能力や軍紀を大いに評価していた背景も在った。
反面、米国は当初、朝鮮人を軍政より徹底的に遠ざけた。朝鮮人の軍政登用は
微々たる速度で進められたのが事実である。

現在、北でも南でも「抗日戦」が強弁されているが事実は違う。
統治能力欠落や、度を超した自己主張、激高しやすい民族性に加え、偏狭な
民族主義者や共産主義者が入り乱れ、一致団結して建国に邁進するまとまりに
欠けているなど、こと朝鮮人に関し米国の判断は低いものであった。
実際45年秋、30もの朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を
勝手に接収。米軍は武装解除を強制したが効果は限られた。政党や政治結社も
200近くにのぼり、指導者は内部抗争を繰り返し暗殺・テロが横行した。
そも朝鮮人民共和国ですら中華民国に建てた韓国臨時政府と対立し、2つの
「政府」それぞれの内部でも抗争に明け暮れた。米国は朝鮮人の政党も
政治活動も全く認めなかったのに、この有り様であった。

この様な混乱では、38度線の北側に陣取るソ聯軍に対する力の均衡維持は
覚束ない。米国の最重要課題はソ聯の半島支配阻止で、南朝鮮独立は副次程度の
認識だった。米国は、内閣・政府を通じ権力を行使した日本と同じ統治形態
ではなく、韓国に直接軍政を敷いたことを正解だと判断した。

朝鮮人は戦前~戦中~戦後を通じ、日本に向けまともなゲリラ抗戦も民族蜂起も
起こしていない。むしろ帝國陸軍内の朝鮮人高級軍人の武勇は目覚ましく、
触発された朝鮮人が志願兵募集に殺到した。42年には募集4千人に25万人
以上、43年には6千人に30万人以上が受験。競争倍率は50倍以上にも
なり朝鮮人の戦意の裏付けとなり、米国は日本=朝鮮一体を確信した。

いくら韓国が「日帝を打ち負かして独立を勝ち取った」と強弁しようと、
独立は日本敗戦3年後。米国は聯合国による長期の半島信託統治を描いたが
北朝鮮に統一国家を建設する動きを見せたソ聯に対抗し、韓国の独立実施を
大きく前倒しした。日本ではなく、日本に勝った米国に棚ぼた式で譲って
もらったのが事実である。

哀れな韓国は「歴史の不完全燃焼」でコンプレックスを癒やせない。
制御不能な嫉妬の炎は「歴史の新作」を次々ひねり出すエネルギー源と化す。
半面、取り憑かれたような情念で日本を「口撃」している間は、不都合な
史実は目立たない。これが韓国の為政者の反日カードが国家戦略であり続ける
理由である。

自国民の大量虐殺となった「国民保導連盟事件」も反日の激しさで忘却したい
大きな傷であり、恥である。
日本にしても自国内での争乱は過去にあった。しかし韓国とは内容や意味が
大きく違う。日本ではこれほどの大量の民が意味も無く虐殺されたことはない。
保導連盟とは、共産主義者が転向し、韓国に忠誠を誓う人々と家族を再教育・
統制すべく立ち上げられた思想保護観察組織である。ところが、朝鮮戦争
(1950~53年休戦)勃発で連盟加入者名簿は虐殺リストに変わる。
北朝鮮軍がソウルに迫るや初代大統領・李承晩大統領は国民や韓国軍将兵を
見捨てて逃亡。その際、連盟登録者を「危険分子」として処刑するよう軍・
官憲に命じた。北朝鮮側間諜が紛れた可能性は有るが、大多数は無辜の民。
食料の優先受給目的で登録した人もいた。政治犯ら政権に目障りな人々も
ついでに抹殺された。韓国紙によれば60万~120万人、政府も「子供を
含む最低10万人以上」の国民を虐殺し、排水溝や海に遺棄した暴挙を認めた。
また各地の廃坑や刑務所内で殺戮が行われた。

おびただしい数の韓国人が難を逃れ、日本に密入国し、大半が居座った。
在日韓国人は強制労働では無く、これが原因である。彼らは帰りたくとも
帰る場所が無く、現韓国の法律では親日という名目で財産を没収されかねない。
現在のイスラム国と韓国の最大の共通項は凶暴で残忍だということである。
大量の死者・棄民を輩出しても心痛まぬ思考回路は度々証明された。
大事故が連続して起きても国民の生命を軽視する風潮は未だに治っていない。
また、日本を歴史捏造でいたぶり、つきまとって離さぬ韓国。
これからも、そんな韓国に日本はつきあっていくのか。
6月22日は日韓基本条約が締結された日だったが、改めてこの条約全文を
読んでみると、韓国がこの条約をいかに遵守していないかよくわかる。
竹島問題もこの時点では先送りして話し合うというものだったが、
軍事境界ラインである李承晩ラインを一方的に引いて違法占拠し、
日本人の漁民まで殺害したのだ。
こんな嘘付き恥知らず国家とはつきあってはいけない。

  断交、断交!

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